渦中日記 2015/11/11

오늘은 원래는 아시아태평양상 수상식 날이었다.
하지만 일본에 가는 대신, 우연히도 겹쳤던 네번째 민사재판에 참석했다. 재판은, 참석자와 쌍방이 제출한 서류를 확인 후 향후 일정을 잡기만 하고 10분만에 끝났다.

민사재판 마지막 날은 12월16일로 잡혔고, 1월에 선고가 내려지게 되었다. 조정위원회에서 검찰로 다시 돌아간 형사소송도 조만간에 기소여부 결정이 날 것이다. 약 1년 반만에, 또하나의 전환점을 맞게 될 것 같다.

법원으로 가기 전 아침에, 저녁에 있을 수상식에서 편집자가 대독해 주기로 된 스피치를 써서 보냈다.

오늘은 빼빼로 데이라는데, 내게도 앞으로는 해마다, 바다 하나 사이에 두고 내게 일어나고 있는 이 극명한 대조가, 오래 기억될 것 같다.

일본어지만 기념으로, 오늘 아침에 주최측 언론사인 마이니치신문에 난 “심사평”과 스피치를 올려둔다.
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アジア太平洋賞 受賞スピーチ(2015・11・11、朴裕河)

このたびは『帝国の慰安婦』にアジア太平洋賞特別賞を授けてくださり、心から感謝しております。11月11日の朝、ソウルでこのスピーチを書いています。本当は日本に赴いてご挨拶すべきでしたのに、足を怪我して行けなくなったことをまずお詫び申し上げます。
受賞のお知らせを聞いたとき、嬉しいながらも複雑な心境でありました。というのも、みなさんのご存知の通り、現在この本は韓国で、慰安婦支援団体によって、慰安婦の名誉を毀損したとして訴えられているからです。そのような状況の中にいるので、賞を受け取るべきかどうか、少し迷いました。ひとつには、わたしの意図とは別であるにしろ、原告として名前を連ねているおばあさんたちを無視したとみなされるだろうということ、もうひとつは、「日本」の賞であるだけで「日本の味方をしている、日本政府を代弁している」とする、原告側やその周辺人物の主張を証明するものと見られることが分かっていたからです。
しかし、そうした迷いの時間は長くありませんでした。わたしは、ある選択をめぐって迷うとき、そのことが発生させるであろう様々なことが、わたしたちの守るべき、考慮すべき、モラルと本質的に関係があるかどうかということを考えながら決めてきました。そして、今回の受賞は、誰かを傷つけるものでは、本質的にはないと考えたからです。そして私への評価や裁判に不利か有利かは、受賞自体が決めるのではなく、受賞を眺める人々の良識が決めるもの、と考えたからです。そして、その結果を、わたしは引き受けるつもりです。さらに言えば、現在私に向けられている批判より、わたしの拙い本を高く評価してくださった方々の「心」を受け止めることこそが、おそらく閉塞の中にある今の時代を切り開く方向のものと信じているからです。

この日本語版は、私が書きましたが、もはや私だけの本ではないと思っています。装丁を見たとき、とても嬉しかったのですが、装丁をデザインしてくださった方は、わたしがこの本に込めた意図を、本当に的確に受け止めてくださったと思っています。一輪の、韓国では国の花となっている、可憐なむくげの花は、少女であれ大人であれ、不遇な時代に生まれて耐え忍びながら生きた慰安婦の方々、そして砲弾の飛び交う中で亡くなった方々、そして病気で与えられた命を全うできずに亡くなった方々の悲しみと強さを、あますところなく表現していたからです。本の編集者である岡恵里さんは原稿を読んでいて涙が出そうになったと言ってくださり、日本人の最初の読者であるお二人にそのように受け止められたことは大きな励みになりました。そして、その二人をはじめ、出版するまで、そして出版してから多くの方たちの理解と気持ちが込められているわけですから、この本はもはやわたしだけのものではありません。書評や個別の感想の形で高く評価してくださった日本の方々との「合作」のようなものです。ですから、この賞はそうした方々と「一緒に」受け取るものと考えています。

日韓基本条約さえも締結まで14年かかりましたが、慰安婦問題は、はや四半世紀になろうとしています。この二十数年間わたしたちが経験してきたことが、後日どのように受け止められるのか、わたしたちはまだ分かりません。しかし、この本を評価してくださった方々の気持ちこそが今後を開いていけるとわたしは確信しています。わたしの本がよいからではなく、みなさんの気持ちをわたしがよく分かっているからです。様々な批判にさらされながらも、自分が考えていることを書いてこられたのには、ひとえにわたしが信頼する方々が支えてくださってきたからにほかなりません。
思えば数十年前に出会った日本人の方々がそうした信頼を最初に植え付けくれました。様々な事柄や人々が存在するなかで、信頼すべきものを見つけ、 大切にしていくことこそが世の中を平和に導いていくものと考えます。過去を考えるときも今を考えるときも。
悪い記憶や経験をみつめながらもそれに振り回されず、暗黒の中でも一筋の光のようなものを見つける心を維持していきたいと思います。それこそが、今を生きるわたしたちが次の世代のためにすべき、もっとも価値のあることと考えます。今後もそうした姿勢を維持していきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。

2015年11月11日
民事裁判4回目の日の朝に、ソウルにて、 朴裕河

본문: https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1228221010538144

渦中日記 2015/10/22

그저께저녁, 감기로 골골거리고 있는데 와세다대학에서 연락이 왔었다. 와세다에서 주관하는 “이시바시탄잔 기념 저널리즘 대상”수상자로 결정되었다고.

얼마전에 쓴 것처럼 지난번 마이니치신문사의 수상소식에 대해서는 좀 복잡한 심경이었지만 이번 소식은 순수하게 기쁜 마음이 들었다. 소감을 써 보내라기에 그 이유를 썼다.

실은 마이니치의 경우 수상식에는 가지 않을 생각이었다. 밝고 화려한 장소에 나가 웃는 얼굴을 할 기분은 아직 들지 않았기 때문이다. 하지만 몇몇 지인의 의견에 힘을 얻었고 생각을 바꾸었다. 나는 결코 위안부할머니를 모욕하지 않았고 그 부분에 대해서는 한점 부끄럼이 없다. 그래서 수상에 대해서도 당당해지기로 했다. 할머니들도 언젠가는 오해를 풀어 주시리라 믿는다. 수상 덕분에 이 책을 읽는 일본인들이 한사람이라도 더 늘어난다면 위안부문제 해결에도 도움이 되면 되었지 결코 방해가 되는 일은 아니라는 확신에도 변함이 없다.

감기가 나으면 그동안 따뜻한 응원을 보내주셨던 페친여러분들과의 만남도 가져야겠습니다. 누구보다도 먼저, 여러분들께 감사 전하면서 보고드립니다.

<소감>

“대학원에서 배웠던 와세다대학이 주관하는, 그것도 이시바시탄잔을 기념하는 상을 수상하게 되어 기쁘게 생각합니다. 이시바시탄잔은, 반전, 반군대, 식민지 포기, 소일본 주의를 지향했습니다. <제국의 위안부>는 국가/제국의 욕망에 개인이 어떤식으로 동원되고 착취당하는지를 생각해 본 책이니, 의도하지 않았으나 이시바시의 사상과 접점이 있었는지도 모르겠습니다. 경계를 넘어, 이시바시와 같은 사상을 계승하고 공유하는 일이 필요하다고, 작금의 동아시아가 불안정한 만큼 간절히 생각합니다. 앞으로의 집필에도 큰 힘이 될 것입니다. 고맙습니다.”

“大学院で学んだ早稲田大学からの、しかも石橋湛山の名を冠する賞を受賞することになってとても嬉しく思います。石橋湛山は、反戦、反軍、植民地放棄、小日本主義を目指しました。「帝国の慰安婦」は、国家/帝国の欲望に個人がどのように動員され、搾取されるのかを考えてみた本ですから、石橋湛山の思想に図らずも接しているのかもしれません。境界を越えて、石橋のような思想を受け継ぎ共有することが本当に必要と、現在の東アジアが不安定なだけに切に思います。そうした賞をいただいたことは、今後の仕事の上でも大きな励みになります。ありがとうございました。”

본문: https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1217801724913406