記憶の政治学を超えて – 『帝国の慰安婦』 提訴されてから1年

1. 慰安婦問題をめぐる認識の変化

慰安婦問題に関する認識をめぐり、この1年の間に顕著な変化がありま した。昨年8月、朝日新聞と北海道新聞が「強制連行」に関して掲載した 過去の記事を取り消す事態は、その始まりでした。そして、5月には、ア メリカの著名な歴史学者がこの問題に関する意見と提言を発表しました。 何より注目すべきは、韓国と日本の支援団体がこれまでの立場を変えたこ とです。

余り知られてはいませんが、慰安婦問題をめぐる攻防は、「法的責 任」、「国家賠償」というこの二つに集中しています。支援団体は、日本 が責任を負おうとしない、謝罪も補償もしていないと、この20年間主張し てきましたが、その話の意味は、「法的」責任を負っていないということ です。日本が行った補償は、いわゆる「道義的な補償」であって、「法 的」補償をすべきというのがこれまでの主張でした( 『帝国の慰安婦』参 照)。国会における「立法」を主張してきた支援団体が、その主張から一 歩退いて、立法しない方法でもよいと、その立場を変えたのです(201 5.4.23 ハンギョレ 映像参照)。

これらすべてのことが、この20年間の動きや、2007年にアメリカの 下院が議会での決議を通じて日本に謝罪を求めて以来、世界がそれに同調 してきた過去8年の動向から考えると、括目すべき変化であると言えます。 これまで支援団体や関連する研究者らが、「法的責任」を主張してきたその根拠は、慰安婦問題が発生した初期に、様々な理由により「軍人が強制 的に連れて行った」と理解されたことで、「国家賠償」をすべきだとする 考え方にありました。しかし、その後、徐々に、最初の理解とは異なる研 究も出始めました。

しかしながら、このような認識の変化は、「公には」明らかになりませ んでした。日本人慰安婦の存在、業者の存在、人身売買などについて、公 式的に公表されたり、議論されたりしたことはありませんでした。

そして、初期に認識された「強制連行」の意味するところと異なる状況 であることが知られた後には、そのような認識の変化に対する説明は行わ れず、日本軍が人身売買であると知りながら受け入れたとか、認識してい たが人身売買の業者を処罰しなかったという意味で、「強制連行」という 単語が使われるようになりました。そして、そのことに関する日本の「国 家責任」を追及したのが、慰安婦問題をめぐる現在の状況です。

慰安婦関連の支援団体は、もはやこれ以上は朝鮮半島における強制連行 を強調しません。「植民地統治」下であったが故に、むしろそのような形 の強制は行われなかったと話しています。(『帝国の慰安婦』に対する告 発状)。

実は、この点はまさに『帝国の慰安婦』で私が話している内容です。い くら植民地であっても「法」に違反することを勝手にすることはできませ ん。法的に認められた思想犯の取り締まりの他には、植民地であるがゆえ にかえって慎重に統治しなくてはならない部分もあったのです。問題はこ のような認識の変化が「公に」公表されることがなかったという点です。

歴史学者などの関係者は、「軍が認識しながら受けいれた」としていま すが、次の資料はそのような認識が必ずしも正しいわけではないというこ とを示しています。

9月に入り、業者が慰安婦の数が減っていることを理由に挙げ、充員し てほしいと申請したため、支部が許可した。10月、京漢線を経由して、 二人の朝鮮人の引率の下、30人余りの女たちが朝鮮から到着した。誰が、 どのような手段で募集したかはわからないが、その中の一人の女が陸軍将 校の集会所である偕行社に就職すると約束してきたのだが、慰安婦だとは 知らなかったと泣きながら、就業を拒否した。支部長は、業者が女に仕事 をさせないようにして、他の適切なところに就職させるよう命令した。お そらく斡旋業者のような人が、騙して募集したのだろう。(『漢口慰安所』 221頁)

何よりその中には日本人もいたことを考えると、軍人が、暴力的ではあっても、不法な行為を行うのは容易ではないことは簡単に推し量ること できます。もちろん、例外があった可能性はありますが、「国家の方針」 でそういうことがあったのか否かが「不法」の可否を判断する重要な要素 となります。

慰安婦問題をめぐる数多くの誤解は、「日本軍と朝鮮など他国の女性」 という関係の構図から理解されたことに端を発します。もちろん、支援団 体の関係者は、日本人慰安婦の存在についても知っていましたが、長きに わたり、日本人慰安婦を朝鮮人女性とは異なる存在として扱ってきまし た。そして、その背景には「日本人は売春婦、朝鮮人は少女」という認識 があったのです。

最近になって、日本人慰安婦に関する本格的な研究書が日本で出版され たのですが、慰安婦問題について、“公娼業者だけではなく、民間人も多く の女性の売買と詐欺のような斡旋に関係していたことがわかった”、“戦争 前から女性を人身売買や騙して売春に送り込む業者が実に多く存在し”た (西野瑠美子『日本人慰安婦 愛国心と人身売買と』260頁、 2015)と話 しています。また、この本の帯には、 “売春婦は被害者ではないのか?”、 “見過ごされてきた日本人慰安婦の被害を問う”と書いてあります。

言うならば、慰安婦を調達する基本的構造が「強制連行」ではなく、 「人身売買」を通じたものであり、いわゆる「売春婦」も慰安婦のシステ ムの中にあったということを、今では支援団体も語る段階に来たのです。

実は、日帝強占期(日本植民地時期)に、朝鮮半島には、日本人が数十 万人暮らしていました。当然、彼らの中にも慰安婦になった人もいまし た。川田文子が書いた『赤瓦の家―朝鮮から来た従軍慰安婦』には、釜山 の地で募集された女性の中には、‘日本の女も2人混ざっていた’という記 述が見られます。さらに、朝鮮のソウルや北朝鮮にある慰安所の前で、軍 人たちが列を作って並んでいる風景を描いた文章は少なくありません(梶 山俊之、後藤明正など)。したがって、これ以上、慰安所に関するこれま での認識だけでは慰安所を語ったとは言えなくなりました。

慰安婦制度を支えたシステムが「人身売買」であったという事実は、こ れまでの認識―‘強制的に連れて行かれた幼い少女’という認識に込められ ていた連行の主体と状況についての理解を見直すことを求めます。

しかし、韓国では、いまだに1990年代初期に定着した‘強制的に連れ て行かれた慰安婦’というイメージが支配的です。そして、在韓日本大使館 の前に設置された少女像は、「強制連行」の認識がまだ(公式的には)支 配的であった時期の像です。2011年の冬、初めて少女像が建てられてから、ソウル以外の多くの場所、そして、アメリカにまで建てられること になり、解放70年を迎え、今年には全国的な勢いで、少女像の建立が進 められていますが、そのような意味ではこの少女像の意味も리고 미국에까 지 세워지게 되었고 해방 70년을 맞아 금년에는意味では、この少女像の意味 も再考されるべきですこの少女像が依然として既存の認識である「強制連 行」を象徴しているからです。ソウル市までもがグァンファムン(光化 門)や市庁に少女像を建てると発表しており、本当に建立するのであれ ば、慰安婦問題の根源的な本質、-家父長制の下で、国家の勢力拡張に、 個人の性を動員された女性たちという普遍的な意味合いを込めるべきだと 思います。

2.<世界の考え>と理解の偏向

ところで、5月末に、アメリカの歴史学者たちが日本政府の送った公開 書簡は、彼らの認識が韓国や支援団体の表面化した認識とは多少異なって いることを示しました。

詳細は、今日の資料集に収録された内容を参照していただきたいと思い ますが、歴史学者たちの書簡は、日本政府と国民が大体において納得でき ると思われる内容でした。そして、批判・非難ではなく、説得・勧告する 論調でした。議論が十分に行われ、苦心した痕跡が明らかであり、結果的 に繊細で合理的な内容でした。

注目すべきは、この声明には「人身売買」、「性売買」という単語が使 われていたという事実です。

アメリカの学者たちも、これ以上、韓国や支援団体が主張する「強制連 行」は話しません。安倍首相が人身売買という単語を使ったということ で、韓国は非難しましたが、その認識はすでに安倍首相だけのものではあ りません。そして、重要なことは、これらの歴史学者たちの声明や、日本 の支援団体が出した本がそうであるように、彼らの「人身売買」という理 解は、慰安婦問題を否定するために使われたものではないという点です。

しかし、韓国のメディアは、その声明が韓国・中国を批判した事実は報 道しませんでした。まるで、これまでの韓国の主張を指示した書簡である かのように報道したのです。これは、長い間続いてきた韓国メディアの偏 見と怠慢に―直接取材せず、自ら翻訳しない―起因するものだと言えるで しょう。このような偏向的な態度は、慰安婦問題が長引く中、支援団体を中心にした認識だけが余りにも深く広がり、定着してしまった結果です。 反対に、日本のメディアが大きく報道したベトナムでの韓国軍慰安所に 関するニュースは、韓国ではほとんど報道されなかったか、だいぶ遅れて 報道される現象が起こりました。程度の差はあるものの、このように、慰 安婦問題をめぐる情報の遮断と歪曲が、韓国ではこれまで20年間続いて

きました。 アメリカの学者に続いて、5月末には、日本の歴史学者たちによる声明も発表されました。しかし、この声明には、アメリカの学者たちが誠意を 尽くした声明についての言及は全くありませんでした。そして、結論から 言いますと、彼らの声明の内容は、日本政府とこの問題に懐疑的な日本国 民を説得するには力不足な内容でした。内容が間違っているというより は、話すべき内容の半分もしていない声明だったからです。実際に、日本 の新聞の中で、この声明を報道したのは、朝日新聞と東京新聞だけという 事実がそのような状況をよく表しています。

この声明について沈黙した日本のメディアの中には、慰安婦問題そのも のを否定したがる言論もありますが、全てがそういうわけではありませ ん。そして、日本の歴史学者による声明が発表された直後、日本のイン ターネットには、彼らに対する批判や揶揄が多く書き込まれました。学者 たちが彼らなりに得た認識をこの声明は盛り込んでいなかったためです。 正しいかどうかということとは別に、そのようなメディアと国民に対する 理解がない限り、慰安婦問題の解決は困難です。

ところが、韓国のメディアは、この声明が日本を代表しているかのよう に大々的に扱い、賛同した人数がいかに多いかということだけを強調しよ うとしています。しかし、ある日本人の学者は、自分も学会のメンバーだ が、学会が、自分には意見を問うこともなかったとしながら、今後も賛同 する考えはないということを、フェースブックに書いており、このような アプローチの問題点を示しています。

日本人学者たちによる声明は、「本人の意思に反する」「連行」も「強 制」であるとしています。しかし、かつて「軍人による直接的な連行」を 「強制連行」としてきたこれまでの認識との違いについての説明は依然と してありませんでした。公式的に見解を発表していなかったため、主要な 論点の内容を何ら説明せずに変えるのかといった揶揄を受けたのです。

また、「本人の意思に反した連行」の主体を明らかにしませんでした。 軍人であったとしても、そのようなケースはむしろ少数であり、そのよう に連れて行かれた場合でも軍が送り返したか、あるいは他のところに就職させた場合もあったという事実、すなわち「本人の意思に反して」行った 場合までも、国家や軍の公式的政策や方針ではなかったということ、つま り、どちらが例外的な場合だったかについて言及してこそ公正と言えるで しょう。業者が人身売買した場合、軍がどこまで関与できたかについて も、批判であれ擁護であれ、明確のその構造について言及しないと誤解を 避けられないと思います。そうしなかったために、人身売買の主体が日本 人であるかのように誤解され、結局いつまでも正確ではない批判が続き、 日本政府が頑なになる場合が続いているのです。

さらに、声明では、慰安婦を「性奴隷」と規定しました。無論、慰安婦 に「性奴隷」的な側面があったことは否定できません。性売買と言える側 面があったとしても、不公正な差別の構造があったことも事実です。

しがしながら、「性奴隷」的な構造を指摘することと、「性奴隷」であ ると言うことは同じではありません。それを聞く人が思い浮かべる内容が 異なるために、結局、一般の人の理解は依然近づきません。性奴隷であっ たとするならば、彼女たちの直属の「主人」が業者であり、強制労働をさ せたのも、利潤を得ていたのも業者であったという事実も話さなければ、 総体的な姿とは言えないと思います。

請負業者ではなく、仕事を与えた側を批判するのは問題がありません。 しかし、「日本」という名前だけで批判する場合には、後にも触れる様々 な矛盾が生じます。そのような矛盾を無視したことが、支援団体と支援者 らが反発を買った所以です。

声明は、慰安婦問題が、“当時の国内法および国際法に反する重大な人 権侵害だった”としていますが、これは「強制連行」に関することではあり ません。ただ、人身売買と移送に関することだけです。しかし、その部分 を明確に表してはいません。

「人身売買」であることを公的に論じると、支援団体と研究者がこれま で主張してきた内容は、

1.“人身売買を知りながら受け入れたのであるなら不法”

2.“日本では売春業に従事する女性であっても、21歳以下は渡 航できないことになっていたが、朝鮮では21歳以下も渡航できるよ うにして、幼い少女を慰安婦として動員できるようにした”

3.“日本では、就職詐欺や人身売買が発生しないようにする法的規 制が存在したが、植民地ではそうではなかったため、詐欺や人身売買 を簡単に行えるようにした”

というものでありました。しかし、前記で示したように、これらの主張に は問題があります。また、「朝鮮半島の日本人女性」に対する認識がな かったため、日本―内地と、朝鮮においての募集方法に違いがあったこと 前提にした結論だと判断されます。

重要なことは、日本であれ、韓国であれ、支援団体や歴史学者は、朝鮮 人慰安婦については、もうこれ以上は“強制連行”ではなく、“人身売買”で あることを基にして、様々な主張を展開しているといった点です。

そして、支援団体は、そのような事実を長い間公式的に言わずにいたた め、国民の多数が未だに軍人が強制連行したと考え、少数のみが詐欺や人 身売買だったと考える、このような認識の偏差とそれに伴う混乱を生み出 してしまったのです。しかも、外国に対しては、その意味するところが異 なる「強制連行」説を主張し、それにより、韓国と日本の国民の葛藤は深 まってしまいました。そして、たとえ慰安婦問題が解決されたとしても、 日韓のわだかまりは容易には解消しがたい状況にまで来てしまいました。 今からでもそのようになってしまった原因を、日韓がどもに考えなくては ならず、そのような状況を前提にして問題をひも解いて行かなくてはなり ません。日本の支援団体の用語の使い方の変化にも注目しなくてはなら ず、何故に日本で支持を得られなかったのかについても、総合的に考え、 違う枠組みからアプローチしないと、慰安婦問題の解決は遥遠いことで しょう。

3. 歴史と向き合う方法

1) 知的怠慢からの脱却

しかしそのような問題意識を内容とする私の本は告発を受け、結局、部 分的に削除して出版する事態になってしまいました。そして、『帝国の慰 安婦』および私の他の本は、「親日」という疑念の中で、1年を過ごして きたのです。

しかし、“親日”というレッテルは、よく知らない考えについてはそれ以 上考えようとしない知的怠慢を露呈する思考に対する表現です。複雑で繊 細な問題を単純で粗雑に解き、結果的に暴力を生み出す思考へと繋がりま す。何よりも、そのようなレッテルを恐れ、沈黙したり、レッテルを付け る側に転じてしまったり、全体主義に加担することでもあります。そのようなことに抵抗しない限り、誰もが大勢と異なる話はできない自閉的空間 が広がり、思考が自由であるべき若い学生すらも自主検閲に汲々となる状 況は、これまでにも見慣れた光景です。

そのような知的怠慢は、支援団体などが中心的主体となる日本に対する 根拠なき非難を容認し、結果的に、韓国社会において日本に対する否定的 な認識を作り出すのに一助となりました。特に、挺隊協(韓国挺身隊問題 対策協議会)をはじめとする被害者関連の団体、または領土問題に関連す る団体は、慰安婦問題について触れる度に、日本を軍国主義国家と非難し てきました。その結果、2015年現在、韓国人の70%以上が日本は軍 国主義国家と考えています。戦争が終わって70年が経過しても、謝罪や 反省もしないだけではなく、今なお他国の領土を虎視眈々狙っている国と いうイメージをもたらせるに至ったのです。このような認識が払しょくさ れない限り、日韓の和解は難しいでしょう。

さらに深刻な問題は、 このような経緯により、2015年現在のメディ アと外交と支援運動が、自閉的な状況に陥ってしまったという点です。今 の日本では、慰安婦のために「アジア女性基金」の募金に参加した人々の 存在を想像し難いほど、国民感情が悪化したという点です。しかしなが ら、韓国のメディアや外交、運動団体は、今なお日本の嫌韓派を増やさざ るを得ない考え方と主張のみを繰り返しているだけです。慰安婦問題を考 えるということは、遅ればせながら、このような現在の状況を把握し、日 本を総体的に知ることから、新たに始めなくてはならないと思います。

2) <暴力の思考>を止揚する

重要なことは、そのような知的怠慢がどこから来たのかを知ることで す。実際、今の韓国の日本観は、純粋な日本観というよりは、慰安婦問題 がそうであるように、日本のリベラル派・いわゆる良心的市民・知識人・ 市民運動家による戦後・現代の日本観であると言えます。とりわけ、戦後 の日本の反省と協力を全く認めようとしない不信に満ちた態度が、彼らの 自分の国に対する反省から来たという点に注意する必要があります。彼ら の自国批判は、政権獲得、すなわち政治と繋がっており、正しいか否かは さて置き、日本を代表するものと見做すのは困難です。しかし、「国家」 を相手にしなくてはならない日韓の問題において、90年代以降、リベラ ルや保守の半分だけの自国観に基づき、日本を理解してきたということ は、その認識の是非は別にして、韓国の日本認識を不完全なものにせざる を得なかった要因になったと言えます。

80年代後半まで韓国は反共国家であり、それまで徹底的に弾圧されて きた革新左派が、日韓の市民交流の主役になったことが、このような日本 認識の背景にあります。彼らの中でも、とりわけ現代日本の政治に批判的 であった者が、与野党の合作としての謝罪補償方式であった「アジア女性 基金」に不信感を抱いて排斥し、韓国の支援団体がこれに同調したこと で、結局90年代の日本の謝罪と補償は全うされませんでした。そして、 15年後、我々は、現在、日本のメディアが慰安婦問題について報道すら しない局面に直面しているのです。

したがって、徹底した「正義」を語り、日本を糾弾する先頭に立った一 部の在日韓国人を含む日本のリベラル派の考え方にどのような問題があっ たのかについて、一度考えてみる必要があります。

在日の一部と一部のリベラル派勢力の日本に対する視線は非常に否定的 です。彼らは、戦後日本が、実は継続した植民地主義を継承した空間だっ たと話しています。そのように否定する根拠は、天皇制の維持、在日に対 する差別、拉致問題を起こした北朝鮮批判、などです。彼らが言うとお り、戦後日本は戦争を引き起こし、植民地を作った天皇制を清算しません でした。そして、現代日本では、在日に対する差別が清算されるどころ か、在日をも対象にした韓国に対するヘイトスピーチが問題となっている のも事実です。このことだけ見れば、彼らの戦後日本観が正しいと言える かもしれません。

しかし、そのような論理だと、天皇制が廃止されない限り、日韓の和解 は不可能だという結論になります。両国民の和解―感情的な信頼回復の問 題を、天皇というシステムの問題に置き換えていると思います。何より、 国民同士の和解が、天皇制の存在如何によって決定されるという考えは、 ロミオとジュリエットを連想させる、極めて家父長的な考え方です。たと え、現在の天皇が過去を反省しないとしても、国民がそれにより不信感を 持つべきとの論理が成立すれば、少数政治家の考えに国民全員が振り回さ れなくてはならないという話になります。そして、実際に、これまでの日 韓の葛藤は、まさにこのような考えに基づいたものでした。そのために、 一人や二人が植民地支配に対する謝罪について否定的な見解を述べれば、 皆の視線が集中し、国全体が対立する消耗的な状況が繰り返されてきたの です。何より、天皇制の維持は、実は、日本の戦争禁止法である憲法第九 条と引き換えにされたのです。(小関)

しかし、戦後日本に対する不信感を込めて、ある在日の学者は、 日本の 社会に最も批判的な日本のリベラル派知識人をも批判し、日本を全否定しています。その一部の在日の認識が、ハンギョレ新聞の読者に共有され、 拡散されたことで、日本に対する不信感を植え付け、戦後日本の知らざれ る部分を伝えようとした『和解のために』に対する批判的見方が拡散した のは、そのような日本への不信感の拡散と軌を同じくするものです。結果 的に、現在の韓国の日本観は、日本にいる在日韓国人によって作られたと ころが大きいのです。そしてこのような現象は今も進行中です。

① 支配-家父長的考え方

詳細は省略しますが、『和解のために』が批判を受けたのは、私が在日 同胞の家父長制を批判した後からです。そして、その後、韓国でも『帝国 の慰安婦』批判に本格的に乗り出したのは、慰安婦問題の研究者を除け ば、大部分が男性研究者であった理由もまさにここにあります。日韓の政 治の主役は、体制の中心に位置してきた彼ら―男性たちがすべきことだっ たからです。彼らにとって、『帝国の慰安婦』や『和解のために』は、父 や兄の許しを得ずに、日本と恋愛をする妹や姉、そして娘のような存在な のです。彼らの怒りは自分の指揮権から脱した女性に対する怒りです。

もちろん、慰安婦の恋愛に対して、面白くない心情を表すのもそのため です。『和解のために』を、『和解という名の暴力』と規定し、あたか も、国家野合主義や危険なスパイの試みであるかのように思わせる視線 は、他でもない家父長的視線です。これらの本が、「民族」のものとして 護るべき少女のイメージを、あるいは、母親のイメージを壊してしまった からです。「告発には反対する」としながらも、沈黙することで告発に同 調した学者もまた同じです。「売春」、「同志」という単語について、彼 らがとりわけ気分を害した理由もそこにあります。反体制を標榜するリベ ラル派勢力が、「国家の力」を借りて処罰しようとする矛盾が生じた理由 も、そのような心理メカニズムの結果です。ある地方自治体の首長が、私 に「親日派」というレッテルを付けて、数千人の聴衆に餌食として投げ、 満身創痍にするという出来事が発生したのも同じような構図だと言えま す。

少女に対する執着は、家父長制的な韓国社会の純潔性に対する欲望を物 語ります。また売春に対する差別意識を示しています。

重要なことは、少女像を通じて護られるのは、慰安婦ではなく、「韓国 人」の純潔性であるという点です。言い換えますと、「韓国人」のプライ ド(矜持)のためなのです。支配された自分―蹂躙された自分を消去した い欲望の発露です。つまり、一回たりとて強姦されていない自分に対する想像が少女像を望ませたのです。 家父長的な意識は、自分の純潔性と純血性を想定した上で、「韓国」と

いう固有の名を揺るぎ無きアイデンティティーとしています。それは、 「日本」に対抗するアイデンティティーが必要だからです。しかし、その ような考え方が主導的な状況では、国際結婚した人々は声を上げることが できません。国際結婚から生まれた子供たちは声を上げることができませ ん。そして、近代国家は、そのような純血主義に基づいて、家父長制を維 持し、少数の者を疎外させてきました。純粋な「日本人」、純粋な「韓国 人」の範疇から外れるアイデンティティーを雑種として扱い、辺境へと追 いやりました。このようにして、中央中心主義を支え、ナショナル・アイ デンティティーを再生産してきたのです。

問題は、そのような意識は、天皇制を信奉する日本の右派と同じ意識で あるという点です。批判する側が、往々にして「いやなら立ち去れ!」と 叫ぶ意識は、そのような意識の現れです。彼らにとって、共同体は均質な 共同体であるべきなのです。しかし、そのような考え方は、日本で在日韓 国人・朝鮮人を疎外させる考え方と同一の「嫌韓ヘイトスピーチ」と何ら 変わらない暴力的な考え方です。そして、これらの考え方は、全て家父長 制的な支配意識が作り出します。

② 恐怖-免罪・疑心

違う姿を見ようとする試みが、単に、日本の責任を希釈させる「薄める 行為」として糾弾される理由もそこにあります。慰安婦問題が、「性」の 問題である限り、その第一の責任は「男性」にあります。しかし、「日 本」という固有の名にのみ責任を集中させるやり方は、階級やジェンダー の責任を看過させてしまいます。家父長制的考えを持つ人々が、民衆と国 家の力を借りて弾圧に乗り出したのは、そのような構造を示しています。 そして、そのような行為は、民間人と国家によって自分の人生を奪われ、 ただ日本人男性の庇護でもあれば、生きながら得ることができた慰安婦に 対する男性・国家の拒否感と軌を同じくします。

業者や男性の責任を否定し、「構造的な悪と同じ次元で比較できるもの ではない」(徐京植、104)と見做す発言は、日本―巨大悪、朝鮮―小 悪と見做すもので、「小悪」を免罪しています。他の責任を考察すること が、「日本を免罪する」という考えは、他の責任―小悪の責任を隠蔽しま す。このように、責任の主体を固定し、「被害者」という名の「無責任体 系」を作るのです。

『帝国の慰安婦』を批判する男性研究者が、一様に「危険」という表現 を使っているのは、そのような意識の現れです。そのために、この本が純 粋なものではなく、何らかの意図を持っており、そのための緻密な戦略に 基づいて執筆されたといった主張をしているのです。彼らが繰り返し、 『帝国の慰安婦』や『和解のために』の記述が、「レトリック」や「戦 略」が盛り込められた表現であると強調する理由も、共同体の規範を犯し た者だと示すための排除の戦略です。

③ 抵抗という名の暴力

問題は、このような考え方が暴力を支える構造につながるという点で す。ある在日同胞は、日本の「反省」を促すあまり、9.11同時多発テ ロを肯定的に捉える態度すら取っています(徐京植、『言葉の監獄で 』)。言うならば、彼自身が不当だと考える対象に対して、抵抗という名 目で暴力を容認するものです。

しかし、抵抗という名で暴力が容認される限り、この世から暴力はなく なりません。日本の戦後に対する「(今日まで)継続する植民地主義」と いう名の不信感は、結局「抵抗」という名の「継続する暴力主義」を生産 します。『帝国の慰安婦』に対する抵抗のように見える批判と告発が、国 家を動員する暴力に留まらず、群衆の敵愾心という暴力を呼び起こそうと したのもその延長線上のことです。

そのような意味においては、「抵抗」というメカニズムを容認させた 「サバルタン」の意味も再考されなくてはなりません。被害者意識は、下 層階級が固定されていないにもかかわらず、固定されているかのように認 識させ、「抵抗」という名の暴力を認めます。日本に対する無差別で暴力 的な発言が許されるのも、そのような構造の下でのことです。被害者も強 者になりえるという点、サバルタンの位置づけも転倒しうるという点も認 識すべきでしょう。

一つの固有名により、民族・国家の対立を強調することで、女性に対す る搾取を覆い、「民族」の娘になることを要求する家父長的な言説―支配 と抵抗と恐怖の言説は、暴力を防ぐことができません。混血と辺境の考え 方を抑圧し、皆が同じような「日本人」、または「韓国人」になり、対立 することを要求しているためです。そのような枠組みから脱する試みにつ いては、魔女狩りのような排除を求めるからです。

したがって歴史にしっかり向き合うためには、過去を総体的に記憶しな くてはなりません。

「例外・断片・破片」などの単語で存在する記憶を少数として認め(小 数化)、抑圧してはなりません。差別と抑圧が中心となっている空間にお いての「異なる」記憶は、大勢に抵抗したという意味で、むしろ記憶すべ きであり、継承されるべき一つの「精神」です。

同時に、中心的な多数の体験も記憶されなくてはなりません。「アジア 女性基金の忘却」は記憶の消去です。韓国人に謝罪した人々を、彼らが 「国家」を代弁していないというだけで、彼らの心を歴史から排除した暴 力です。その結果として、日本人の多くの善なる気持ちは、韓国人の記憶 から無視され、消去されました。彼らは、「依然として戦争を記憶する 人々が多かった時代の中心的記憶」でもありました。彼らこそ、「戦後の 日本」を代表する人々であり、まさに、彼らが記憶されなくてはならない 理由です。最近の十年余りの嫌韓は、より若い層が中心となっています。 戦争を記憶できない人々の記憶より、戦争と支配を記憶する人々の記憶 が、われわれにとって、より大切であることは言うまでもありません。

選擇的な記憶を強要し、あるいは隠蔽する「記憶の政治学」を超えて、 あるがままの過去と直面する必要があります。加害であれ、協力であれ、 封印された記憶を直視することを恐れる必要はありません。なぜなら、そ のような試みこそ、過去に対する責任が誰にあるのかをより明確にするか らです。アイデンティティーは一つではなく、同時に、赦しと批判の対象 をより具体化できます。恐れと拒否は、我々に、いつまでもトラウマを抱 えた虚弱な自我として生きていくようにするでしょう。

日韓協定締結50周年、解放70周年を迎えた今年、これ以上時間が経 たないうちに、日韓がともにする、そのような新たなスタートが必要で す。

(翻訳 | イ・ヒキョン)

2015.06.20
出典 : 東アジア和解と平和の声 発足記念シンポジウム 「歴史への向き合い方」